目次
判例要旨
加害者が支払った慰謝料は、労災の慰謝料との関係では相殺されない。
使用者の療養補償債務は交通事故が起きた月の末で履行遅滞になる。
使用者の休業補償債務は交通事故が起きた月の末で履行遅滞となる。
理由
論旨は、被上告人の上告人に対する労働基準法上の請求権が、被上告人と訴外Aとの昭和三二年五月二七日の所論示談の際に、被上告人によつて放棄されて解決ずみであると主張するが、原判決はかかる上告人の主張事実を認めるに足りる証拠がない旨判示しているのであり、右判示は本件証拠関係により肯認できるから、右論旨は理由がない。
つぎに、論旨は、原判決が被上告人とAとの間に成立した前記示談ならびに調停に基づき被上告人がAから受領した二三、〇〇〇円を本訴請求金額より控除しなかつたのは違法であると主張する。しかし、右のうち一〇、〇〇〇円の示談金については、上告人自からも、Aには本件交通事故につき過失がないことが判つたので瑞穂警察署長立会のうえでAから被上告人に見舞金として贈られたものである旨を主張しているのであるから、右金員が本訴請求金額から控除さるべきものでないことは明らかである。支払った見舞金は損害額から控除しない
また、所論調停の結果Aから被上告人に交付されたとする一三、〇〇〇円については、上告人において原審でなんら主張していないことであるのみならず、この点について被上告人が昭和簡易裁判所の調停の結果Aから一五、〇〇〇円(記録上一三、〇〇〇円の誤りと認められる。)の交付を受けた旨陳述しているけれども、記録によれば、それは慰藉料として受領した趣旨であることが認められるから、原審において、本件災害補償金から右慰藉料額を控除することなく上告人に支払を命じたことは正当である。加害者から受け取った慰謝料は、災害保証金の慰謝料との関係では控除しないとした
けだし、労働者に対する災害補償は、労働者のこうむつた財産上の損害の填補のためにのみなされるのであつて、精神的損害の填補の目的をも含むものではないから、加害者たる第三者が支払つた慰藉料が使用者の支払うべき災害補償の額に影響を及ぼさないからである。論旨は理由がない。災害補償は精神的損害の補償ではなく物損的損害の補償だとしている
同第二点一について。
原審において、被上告人は、本訴を不法行為に基づく損害賠償請求から労働者災害補償請求に交換的に変更した(当初は追加的変更であつたが、その後交換的変更に改めたことが記録上認められる。)ことが認められるが、この両請求は、いずれも、同一の交通事故によつて被上告人がこうむつた損害の填補を目的とするものであるから、その請求の基礎に変更がなく、かつ、記録上右変更当時の訴訟の経過・程度からすれば、右訴の変更により訴訟手続を著しく遅滞させる場合にも当らないものと認められるから、右変更を許容した原審の措置は相当である。所論は、独自の法律的見解を主張するにすぎず、採用できない。請求理由の変更を認めた下級裁判所の判断に問題はないとした。
同第二点二について(ただし打切補償請求に関する部分を除く。)。
労働基準法七五条に基づく療養補償を使用者が行なうべき時期については、同法に別段の規定はないが、同条の趣旨からいつて、療養補償の事由が発生すれば遅滞なく補償を行なうべきものと解され、そして、労働基準法施行規則三九条によれば、療養補償は毎月一回以上行なうべき旨規定されているから、使用者の右補償債務は、少なくとも、当該補償の事由の生じた月の末日にその履行期が到来し、同日の経過とともに履行遅滞に陥るものと解するのが相当である。療養補償は毎月一回の給付が行われると決まっているから、月末で持て履行遅滞となるのが相当とした
本件において、原判決が確定したところによると、被上告人は本件事故による負傷の治療費として、(1)事故発生の日である昭和三二年四月二九日から入院した名古屋市民病院に対し一八、八一三円の債務を負つており、さらに、その後、(2)同年六月近藤医院に対して一、二四〇円を支払い、(3)同年八月一日から同月三一日までの分として更生病院に対して一四、三三〇円を支払つたというのであるから、上告人が使用者として補償すべき右合計三四、三八三円の支払債務は、本件訴状送達の日である昭和三四年一月一五日以前に既に遅滞に陥つているものというべきである。履行遅滞に陥っている金額を示している
つぎに、労働基準法七六条に基づく休業補償の履行期についても、同法に別段の規定はないが、この種の補償の性質上、通常の賃金支払日に補償金の支払を行なうべきものと解され、そして、労働基準法施行規則三九条によれば、休業補償もまた毎月一回以上行なうべき旨規定されているから、使用者の右補償債務は、少なくとも、当該休業期間の属する月の末日の経過とともに遅滞に陥るものと解するのが相当である。賃金は毎月一回以上の支払いが行われなければならないから、休業補償も毎月一回履行されなければならない
本件において、原審が認めた休業補償の休業期間は、昭和三二年五月一日から同三三年一〇月三一日までの五四九日間であるから、少なくとも、昭和三三年一一月一日以降右補償金の全額について遅滞に陥つているものというべきである。休業損害の期間を示す
以上のとおりであるから、本件療養補償金および休業補償金につき、昭和三四年一月一六日から遅延損害金の支払を命じた原判決は、結局において正当であり、この点を非難する論旨は理由がない。休業損害の支払いを命じた下級審の判決を正当としている
同第二点三について。
被上告人は、原審において、上告人の清算結了の登記がなされた後、上告人に対する不法行為に基づく損害賠償請求を労働基準法に基づく労災補償請求に交換的に変更しているけれども、右変更前の訴訟が係属していた以上、これを無視して清算結了登記をしても、それによつて清算は結了するものではなく、その間にさらに適法な訴の変更がなされたのであるから、変更後の訴訟係属中はなお清算が終らないものと解すべきである。右の趣旨による原判示は、正当として是認すべきであり、論旨は独自の見解に立脚するものであつて、採るを得ない。
しかしながら、職権をもつて按ずるに、原判決は、被上告人の労働基準法八一条に基づく打切補償請求を認容し、上告人に対して四〇六、二五〇円の支払を命じているけれども、打切補償は、被災労働者の療養の開始後三年を経過した後、使用者の意思によつて行なわれるものであるから、使用者が打切補償を行なう旨の意思を表示しないかぎり、被災労働者から当然にこの種の補償を請求しうるものでないことは、同条の解釈上疑いを容れないところである。
しかるに、原審において、使用者たる上告人が打切補償をすべき旨の意思表示をしたことについては、被上告人においてなんら主張・立証しておらず、また、原審もこの事実についてなんらの判示もすることがないのに、漫然前記のように被上告人の右請求を認容していることは、同条の解釈適用を誤つたものというべく、右部分については、その余の論旨についての判断をまつまでもなく破棄を免れない(被上告人は、自動車損害賠償保障法によつて既に支払を受けたことを自認する一〇〇、〇〇〇円については、本訴で主張する金額中から控除すべぎ旨主張しているが、その控除の方法については、本件で認容されたいずれの請求部分から控除しても差支えないとの趣旨と解せられ、そのことは損益相殺の法理に反するものではないから、本件で打切補償請求として認容された四〇六、二五〇円の部分だけを破棄しても、原判決認容の他の請求部分には影響を与えないものと認める。)。そして、本件記録によれば、被上告人は、本訴において、昭和三二
年五月一日から同三三年一〇月三一日までの五四九日分の休業補償の請求に続いて、同年一一月一日から六五〇日分の打切補償を請求しているので、その真意は実質上休業補償を請求する趣旨とも解せられなくもないので、それらの点についてさらに審理を尽さしめるため、右部分につき本件を原審に差し戻すことを相当とし、其の余の部分については、上告を棄却すべきものとする。
よつて、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条一項、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
最高裁判所第一小法廷
裁判長裁判官 長 部 謹 吾
裁判官 入 江 俊 郎
裁判官 松 田 二 郎
裁判官 岩 田 誠